EXHIBITION

クリエイションの未来展 Colliu「ディア マイ プリンス – Dear My Plinth- 」

Outline

Title:
「クリエイションの未来展」第20回 清水敏男監修 Colliu「ディア マイ プリンス -Dear My Plinth- 」
Date:2019.10.12(Sat) - 2020.01.14(Tue)
Place:LIXILギャラリー
Address:東京都中央区京橋3-6-18 東京建物京橋ビル
企画制作:株式会社LIXIL
製作協力:square4

Artist

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LIXILギャラリーは2014年9月より、新企画「クリエイションの未来展」を開催します。日本の建築・美術界を牽引する4名のクリエイター。清水敏男(アートディレクター)、宮田亮平(金工作家)、伊東豊雄(建築家)、隈研吾(建築家)を監修者に迎え、それぞれ3ヶ月毎の会期で、独自のテーマで現在進行形の考えを具現化します。

 

2019年はアーティストColliuによる「ディア マイ プリンス-Dear My Plinth-」展を開催。
タイトルの「プリンス-Plinth」とは台座を意味します。作家の中にある台座への熱い想いから本展覧会の主題としました。

 

台座を意識するようになったのは展示を何回か重ねてからだ。 初めて展示をしてみるまでは作品の飾り方なんて考えたことがなかったし、作品単体がよければそれでいいんだと思っていた。
しかし展示における台座は、主役ではないが主役をより良く見せるために とても重要な存在で、この存在の良し悪しが作品そのものにも直接的に影響することに気がつき出したのだ。
作品を見せる時、絶対に作品以外の要素も目に入る。作品の周囲がどんなものかで作品そのものの良し悪しとは別に作品の見え方や価値が変わってきてしまう。台座や額のない作品もあるが、その分周りの空間にスペースを持ったり空間が台座的な役割になるように考えられて展示されている。台座をわかりやすい物質的な台ということでなく、作品をより良く見せるための空間的なプレゼンテーションだと考えると、概念的な視点では台座のない作品は無いと思う。もし無い場合は見せることを意識されていない時だろう。
料理も素敵なお皿に綺麗に盛り付けてあれば気分が上がるが、汚い盛り付けでプラスチック容器に入っていれば味覚的に影響することと似ている。
そうして台座に対してあれこれ思いを馳せるうちに、いつも後回しになりがちな台座を立派にすれば展示の半分くらいは完成したも同じではないかと思えて、今回台座を中心に考えた展覧会がしたいと清水さんに提案した。
快く提案を受け入れていただいて、それからより一層台座のことを考える日々が始まった。そして考えれば考えるほど、展示における台座を超えて社会というものが台座的役割の存在によって成り立ってると思うようになってきた。
例えばわたしは作家活動以外に、モデルとしても活動している。このモデルという仕事も実に台座的な仕事なのだ。雑誌や広告で洋服や商品をより良く見せるための土台。主役は商品だけれど、それをより素敵に感じてもらうためにいるのがモデルだ。
そしてそのモデルをより素敵に感じるためにカメラマンさんやスタイリストさんやメイクさんがモデルという台座を造形する。
台座に私が関心を持ったのも、潜在的なモデルの仕事の感覚がもしかしたら関係あるのかもしれない。
世の中は台座であるという個人的な新解釈によって色々を考えると、この展示自体も、概念的な意味でとても素晴らしい台座の上に成り立っている。 Colliuという作家を中心に据えられているけれど、Colliuの展示の在り方が 一番素敵に見えるように、作品作りや展示の設計や告知に至るまで、最高の状態でサポートしてもらってその上に私のアイデアを乗せるような形で実現できた。私がこの展示を発案した時、台座がよければ展示は半分できたようなものだと思ったアイデアがまさしく展示の制作過程でも多くのプロフェッショナルのサポートによって展示の構造自体がそのようになったのは面白かったし、そして感謝の気持ちでいっぱいだ。
これからも、台座がいかに重要であるかをあらゆる場面で心に留めて台座に対する愛を意識していたい。(Colliu)

 

台座への偏愛
このたび紹介するアーティストColliuは彫刻の台座に関心があるとのことで台座をテーマにした展覧会を行うことになった。
彫刻の始祖を考えてみると日本の場合、縄文時代の土偶に行きくつくだろう。土偶には台座がない。土偶が呪術の目的で製作され使用されたならば、土偶の
持つ呪術性はこの現実世界になんらかの影響を及ぼすことが欲せられていたはずであり、土偶と人間との関係は直接的だったのではないか。それ故に台座は
必要なかった。台座は土偶とこの現実世界を分け隔ててしまうものだからだ。
こうしたことを夢想していると、日本の例のみならず古代メソポタミアからエジプト、ギリシャから現代にいたるまでの彫刻と台座の関係を全て調べ直す必要が出てくる。古墳時代、馬の埴輪には台座がないが人型の埴輪には台座があるのはなぜか、キクラデスの小型彫刻には台座がないがギリシャの神像には台座がある、などなど多くの疑問が湧いてきてしまうのである。
話をColliuや我々が生きている現代に戻そう。私はこれまで現代作家による多くの彫刻をプロデュースしてきた。アニッシュ・カプーア、リチャード・ディーコン、安田侃、ダニエル・ビュレンヌなど私のプロデュースした彫刻にはどれも台座がない。
ロダンは彫刻を建築から解放したがまだ台座があった。マルセル・デュシャンは彫刻から「彫刻する」という行為を取り払うと同時に台座を取り払った。ブランクーシ、タトリンも時として台座を無くしたが未だ現実世界から超然とした存在だった。そうした状況に変化が出たのは20世紀後半である。具体、実験工房、アルテ・ポーヴェラ、もの派、ヨゼフ・ボイスらは彫刻を現実世界と同じ空間に置きながら非物質世界(理念)を体現する、という方向に進んできたのだった。上記の作家たちの彫刻はこうした歴史的な事態の延長線上にある。
しかし今また台座に関心が戻ってきた。Colliuは台座を制作しそれを展示室に展開する。それらの台座は色彩も形状も彼女のこれまでの作品の特徴である単純化された形でフラットで鮮明な色彩に覆われている。
しかしここで重要なことは台座の上はColliuの夢想の世界であることだ。それは床の間のような絶対空間であり、現実世界から超然としている。しかしもしも床の間ならそこになにか彫刻を置くことが可能なはずだが、ここでの台座はあまりにも個性的でありまた存在感がある。その上に物質的な彫刻を置くことは難しいかもしれない。それよりもイマジネーションという非物質的な彫刻もしくは物質感を極力無くした彫刻が似つかわしいように思われる。
そこでまた彫刻の始祖の土偶に戻るのだ。土偶のもつ呪術の力は結局はイマジネーションの世界のなかにあるのであるとしたらColliuの台座はそのイマジネーションを支えるものとしてあるのではないだろうか。20世紀の彫刻は台座を無くし非物質世界(理念)を求める歴史だったがまだ形があった。Colliuは台座を復活させた代わりに彫刻を非物質化することを試みている。果たして彫刻が物質として完全に消滅することはないかもしれないが、ホログラムのようになってしまうかもしれない。それ故に、台座を愛さずにはいられなくなるのである。(清水敏男)

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Photo by : Hirofumi Tani Studio Red