EXHIBITION

クリエイションの未来展 枯山水サラウンディング「I’mpermanent」

開催概要

名称:
「クリエイションの未来展」第17回 清水敏男監修 第二期:枯山水サラウンディング「I'mpermanent」
期間:2018.11.01(Thu) - 2019.01.27(Sun)
会場:LIXILギャラリー
住所:東京都中央区京橋3-6-18 東京建物京橋ビル
企画制作:株式会社LIXIL
協賛:株式会社タグチグラフテック、ガスアズインターフェイス株式会社

LIXILギャラリーは2014年9月より、新企画「クリエイションの未来展」を開催します。日本の建築・美術界を牽引する4名のクリエイター。清水敏男(アートディレクター)、宮田亮平(金工作家)、伊東豊雄(建築家)、隈研吾(建築家)を監修者に迎え、それぞれ3ヶ月毎の会期で、独自のテーマで現在進行形の考えを具現化します。

2018年の「クリエイションの未来展」は二期に分けて開催。第二期はクリエインションの未来へ向けてのフィールドの拡大です。
既存のクリエイションの枠を打ち破る「音」の表現を探求。枯山水サラウンディングの音とゲストアーティストとして、塚田有一((有)温室代表、ガーデンプランナー)、板垣洋(職人)が作りだす「庭」が融合した展示。

 

枯山水サラウンディングの結成当初から変わらない理念は、禅の作庭術である枯山水の技法 である、砂、石、岩といった簡素な素材を用いながら、そこに庭園に欠かせない水の流れ等 を想起させ、さらにはそこから、砂を大洋や潮流、岩を島や山に見立てる技法に倣って、音 によってそこに実在しない世界を表現することであった。

カクテルパーティー効果(*)でもわかるように、人が受け取る情報の大部分は視覚情報で ある。ゆえに、一部の例をのぞいて枯山水サラウンディングは、可能な限り視覚情報を排 除することによって、作曲家、そして音楽学者でもあるマリー・シェーファーの提唱した サウンドスケープの思想を、現代のテクノロジーによって、恣意的に現前させる手法に拘 っていた。

しかし、今回はさらなる試みとして、あえて、日本の庭園様式である坪庭に見立てた作庭を 試みることにした。しかし、それはあくまで、サウンドスケープを強調するために創意され たものである。前述したカクテルパーティー効果等によって遮断されてしまいがちなサウン ドスケープをあえて強化し、さらには昇華させるという試みである。

作品名の ” I’mpermanent ” は造語である。それは本来の ” impermanent(無常) ”と” I am

permanent(私は恒久的な存在である)” という、二つの対極的でありながら微妙なズレを 孕むことによってクラインの壺のように錯覚を誘引しながらも安定性を保つ。そして、この

” I (私) ” という一人称が何を示すのかは鑑賞者に委ねられている。 *カクテルパーティーのように、たくさんの人がそれぞれに雑談しているなかでも、人間は音を処理して必要な音だけを再構築していると考えられる。

(枯山水サラウンディング)

 

 

「音のなかを歩く」
いつの頃だったかオハイオ州立大学のウェクスナー・アート・センターを訪れたときにジョン・ケージの『市民の不服従について』Writing Through On the Duty of Civil Disobedienceの展示に遭遇したことがある。ヘンリー・デイヴィット・ソローのテキストを底本にしたメソスティック詩を朗読するジョン・ケージ唯一のサウンドインスレーションだ。
ウェクスナー・アート・センターを設計した建築家ピーター・アイゼンマンの建物は奇妙な空間を作り出していてケージの作品は壁が斜めの不定形の展示室で展示されていた。ピッチを変えたジョン・ケージの声がいろいろな方向から聞こえて来る作品で、奇妙な形の空間が濃密な音に満たされている。そこにランダムに投射される光が加わる。私はその音と光のシャワーを浴びていた。空間には椅子以外なにも物質的なものはなく、音と光のみが空間を満たしている。
この経験は別の経験と結びついている。
銀座で現代韓国のアーティストの展覧会があった。1977年のことだから40年も前のことだ。その時、郭仁植という作家がいくつかの大きな石を床に置いた作品を出していた。石庭の石のように石が配置され、鑑賞者はその間を歩き回る。その空間はなにか満たされていた。石が持っている質量が周囲に撒き散らしている存在感といった物質的なものではなく、より電磁波的な不可視の「なにか」、石が置かれた空間全体に及ぶ「なにか」なのだ。
この二つの展示の経験は私の深層に横たわっている。人間が芸術表現に求めるものは究極目に見えない現世を超越した時間を経験することであるとするならば、そのアプローチは多様であるはずだ。幸い人間には五感が備わっている。美術を視覚芸術という事があるが、それは美術を狭い領域に閉じ込めてしまうことだ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚のどれを使っても良いのではないだろうか。特に視覚と聴覚は空間を満たすところから共通性があるように思われる。
この度のLIXILギャラリーでの展示に音の作品を作り続けているアーティストグループである枯山水サラウンディングを招いた。デジタル映像の圧倒的な視覚体験が氾濫する時代に芸術表現の原点に戻ることが必要と考えた。そのためには可能な限り物質性をなくした展示が必要となる。ジョン・ケージは『4分33秒』で演奏を休止した時に聞こえてくる音を聞くことを提案したが、西洋が発展させてきたオーケストラやピアノの圧倒的物量的な音を排し風の音を聞かせたのではなかったか。
東急多摩川線で行ったアートプロジェクトで、枯山水サラウンディングの作品を展示したことがある。多摩川源流から河口までの音を採取し、さらにエリアの街の音を加工したドラマチックな作品である。山から発した川の流れの音が最後は東京湾に注ぐ波の音となる。駅の改札口にスピーカーを配置した作品で、駅の雑踏の音も作品とともに聞こえてくる。全く音だけで構成された作品だった。ただし視覚的要素としての改札口があった。
今回の展示ではホワイトキューブを使ってあえて視覚的要素をミニマムにし、音だけで空間を満たす事を目論んでいる。さらにその音は加工された音と会場で発生する音を使うことを目指している。音は物質から発するのだがやがて物質を離れ目に見えない「なにか」となって空間をさまよう。あらゆる情報が過多な時代にあって、ミニマルな音のなかを歩き芸術表現の根幹を考える時間を過ごしたい。(清水敏男)

 

 

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撮影 : 谷裕文