LIXILギャラリーは2014年9月より、新企画「クリエイションの未来展」を開催します。日本の建築・美術界を牽引する4名のクリエイター。清水敏男(アートディレクター)、宮田亮平(金工作家)、伊東豊雄(建築家)、隈研吾(建築家)を監修者に迎え、それぞれ3ヶ月毎の会期で、独自のテーマで現在進行形の考えを具現化します。
2017年は彫刻家 鈴木基真の作品展を開催。
これまでアメリカ映画に登場する風景をモチーフに、建物や街を独特のスケールに置き換えた木彫刻を制作してきました。一見すると玩具のような愉しい世界ですが、よく見ると映像の光学的な歪みを表現しており、その視覚のズレに気づいた時、わたしたちは感覚をゆさぶられるような不思議な体験をします。本展ではライトボックスシリーズ「Ghost」3点のほか、新作の木彫刻7点を加えた10点を展示。
この度の「クリエイションの未来展」は鈴木基真を取り上げる。鈴木基真の木彫は以前から関心があったが、VOCA展の出品作品『Ghost#4』を見て新しい視覚体験の可能性を感じたことが本展覧会の企画の発端である。
その作品は自作の彫刻を写真に撮り、それをライトボックスで見せるというものだった。その自作の彫刻とは家の玄関口を木構造に粘土で仕上げたもので、外は薄暗い夕闇に包まれているのだが、玄関のドアの向こうに暖かい室内が見える。
この作品は現代人の視覚体験を的確に表現している。まずライトボックスで写真を見せるという行為についていえば、透過光の画面は私たちの現在の視覚体験そのものなのだ。
私たちは今小さな液晶画面やLED画面を見ることに毎日多くの時間を割いている。人類はこれまで反射光を見て数百万年生きてきたが、ここ数十年の間に透過光の画面を見ることになってしまった。鈴木がライトボックスで写真を見せることをしたのは無意識的か意識的か私たちの視覚体験の急激な変化を「視覚化」している。
しかしライトボックスはジェフ・ウォールがすでに1970年代末に制作している。ジェフの作品は実在の人物に演技をさせ、それを大判の写真に仕上げライトボックスによって透過光で見せるものだ。歴史的絵画を下敷きに映画の手法で画面を作り上げライトボックスで見せる。それは凍った映画なのだ。ジェフはやがてCGを手中にし、画面はますます作り込まれたものになって行く。
こうしたジェフの作品とは異なり、同じライトボックスを使いながら鈴木の作品は全く異なる視覚体験をベースにしている。もともと鈴木はジェフのように映画を参照しながらも、ジェフとは異なり「凍った映画」を作るのではなく映画というフィクションを彫刻に変換することで映像作品の中に入っていくことを試みて来た。
こうした鈴木の試みは、『Ghost#4』で新しい段階に入った。ジェフはライトボックスを映画の代替物として使ったが、鈴木はパソコンやスマホの液晶画面の透過光と同じ視覚体験の時代の子である。ただしこの視覚体験は単に物理的なことのみを指すのではない。映画と決定的にことなることは、それがデジタル画像でありインターネットに接続され相互性を持っていることである。
『Ghost#4』における相互性は限定的かつ原初的な段階であるが、例えば鈴木はその相互性を手作り感の強い粘土で彫刻をつくることで不完全ながら実現しようとしているのではないだろうか。つまり鑑賞者は触覚的に画面に入り込む錯覚を覚えるのだ。それは前述のように鈴木が彫刻において実現した空間感覚だが、『Ghost#4』はそれを平面において試みた作品といえるだろう。しかし作品の中に入っていく作品構造については、実はもっと先がある。
作品の中に入っていく体験といえば、22、3歳の頃『La Modification』*という小説を読んだことが思い起こされる。ミッシェル・ビュトールというフランス人作家が1957年に書いた小説である。この小説ではすべてが「vous(あなた)」という二人称で書かれている。主人公はパリからローマ行きの列車に乗るのだが、列車に乗るのは主人公ではなく、「あなた」つまり読者である私なのだ。
この構造は画期的だった。主人公は列車のなかで次々と考えが浮かんでいくのだがそれは「あなた」である読者が心変わりをしていくのであり、小説の最初から私と主人公は不可分の関係になっていく。私は作家によって想像された非現実空間と私のいる現実世界を行ったり来たりしていた。いや、いつのまにか私は小説の空間内部に入ってしまい、興奮状態のうちに読了した記憶がある。
それまでの小説は作家が描いた世界を読者は外部から受け取る形式だった。しかしビュトールは境界を取り払い、読者はテキストを自分の体験とする。この小説が現れた1950年代の新しい文学をヌーボーロマンと言う。
この小説の構造は、作者が作った構造のなかを歩き回る以上に、自分の想像力のなかで勝手に物語を作り上げることを可能にする。
今回の展覧会の題名『MOD』はこの小説の題名と同じ言葉であるModificationの最初の3文字をとったものだ。これはPCゲームでゲームのユーザーが勝手にゲームの改造や追加をすることであるという。ゲームのユーザーがゲームの外にいてゲームを楽しむのではなくゲームの中に入っていく。
鈴木が今回試みるのは彫刻家としてMODに挑むことである。つまり今回の展示で鈴木は作品のなかに入り込むという構造について語るのである。鈴木は「あなた」となりゲームのなかに入っていく。私たちはその後を追って「あなた」となる。作品のなかに入り込むことになる。
ここでどうして私たちは作品のなかに入り込もうとするのかを考えたいが、紙数が尽きてきた。人間とは情報を求める動物であるが、他の動物と決定的に異なるのはフィクションの情報をつくる能力を備えていることだとユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』で述べている。今は誰もがフィクションを作りそれをインターネットで相互につなげることができる時代なのだ。鈴木のそして私たちの試みは端緒についたところである。(清水敏男)
関連企画
トークイベント
清水敏男×鈴木基真 2017年10月30日18:30-19:30
伊藤誠×鈴木基真 2017年12月2日18:30-19:30
ワークショップ「リピクセル」木キューブを使って好きな風景をつくろう
2017年12月5日、12月12日[:]