EXHIBITION

クリエイションの未来展 謝琳+間島領一+品川明「未来食 食に関する3つのストーリー」

開催概要

名称:
「クリエイションの未来展」第5回 清水敏男監修「未来食 食に関する3つのストーリー展 謝琳+間島領一+品川明」
期間: 2015.09.03(Thu) - 2015.11.24(Tue)
会場: LIXILギャラリー
住所: 東京都中央区京橋3-6-18 東京建物京橋ビル
企画:LIXILギャラリー
制作:株式会社LIXIL

アーティスト

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内容

LIXILギャラリーは2014年9月より、新企画「クリエイションの未来展」を開催します。日本の建築・美術界を牽引する4名のクリエイター。清水敏男(アートディレクター)、宮田亮平(金工作家)、伊東豊雄(建築家)、隈研吾(建築家)を監修者に迎え、それぞれ3ヶ月毎の会期で、独自のテーマで現在進行形の考えを具現化します。

2015年は「未来食 食に関する3つのストーリー」展を開催。
食をテーマに創作活動を続ける2名のアーティスト 謝琳、間島領一による作品展示と”味わい教育”を専門分野とする食の研究者・農学博士の品川明によるトークイベントを通して、未来の「食」について三者三様のストーリーを語ります。

 

「食」は人間のインフラである。崇高な思想も、精緻な科学技術も、美しい絵画・彫刻も人間が作り出すのであるが、その人間は「食」がなくては存在できない。
人間はどのように食を美術で表現してきたのだろう。
今のオランダ、ベルギーあたりでは17世紀に食べ物を描いた絵画を盛んに産出した。それらの絵画は、いかにも食欲をそそる食べ物がみずみずしく描き出されている。果実、パン、肉、魚、野菜などすべてが単なるモノとしてではなく、食べ物として描かれていることは、いかに「食」に執着していたかを語っている。それらの絵はおそらくブルージュやアントワープ、アムステルダムなどの都市の家に飾られ、遠くはパリやマドリッドにまで運ばれた。今では各地の美術館に収蔵されている。
これらの絵画は虚栄や儚さのアレゴリーであり宗教的な意味がある、という解釈が主流だが、ベルギー美術の専門家である森洋子氏は、花の静物画について美しい世界をつくった神への賛美であると言っている。食べ物を描いた静物画も、宗教を装いながら、食べ物への賛歌、喜びとして描かれたのではないだろうか。しばし深刻な惨状をもたらした戦争と病苦の中世が終わり、安定して食べ物が手に入るようになった時代が到来したその喜びの表現であると考えれば食べ物絵画の隆盛に納得がいく。
ジャック・アタリによれば、資本主義は13世紀に運河が発達したブルージュで産声をあげ、16世紀はアントワープが繁栄し、17世紀から18世紀はアムステルダムが世界の海を制覇した。この辺りはかなり豊かだった。
しかし儚さがその意味だとする解釈は捨てがたい。食べ物はすぐに腐敗するからである。
かつて20年ほど前に韓国の作家チェ・ジョンフアの食べ物の彫刻をプロデュースしたことがある。それはレストランのショーケースにあるような食べ物の精巧な模型と本物の食べ物を皿に盛り、そのまま放置する、という作品だった。数日後に本物の食べ物は腐敗しはじめ、やがてドロドロとしたカビの山に変貌する。その一方模型の食べ物は、はじめはどぎつく人工的質感を発散していたが、やがてカビの山の合間で美味しそうな輝きを発し始めたのだった。
人間と「食」の関係は、いかに「食」を腐敗から守り、安全に流通させるかという問題を克服するところにあったのではないか。ブリュージュの運河から現在のコンビニのシステムまでその要は同じである。
ところが現在はそれが大きな問題になってきている。それは保存のために大量のケミカルを使うようになったことである。17世紀フランドルの静物画に描かれた食べ物はもはや儚さを心配することはない。保存料が守ってくれる。チェ・ジョンフアの作品ももう成り立たない。食べ物は腐敗しないのだ。
さてこの度は3人の登場人物、2人のアーティストと1人の研究者がそれぞれの「未来食」について語るという企画である。食べ物が腐敗しない時代の先にどのような「食」が可能なのだろうか。
食べ物が腐らない時代は、果たして幸せな未来なのか。今こそ「未来食」を考える時である。(清水敏男)

 

 

関連企画
トークイベント 謝琳×間島領一×品川明
2015年10月5日(月)19:00-20:30

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2015年11月16日(月)19:00-20:30

IMAGE LIST

撮影:白石ちえこ